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2011/07/15 仲間へのメールより

萱の外くらぶのみなさん 再こんにちは。
○○です。

○○○さんからご案内いただきました。
(○○○さんパソコン不調のため、○○から転送いたします。)

7月19日(火)18:30〜20:00講演会 その後親睦会
松山の高島屋で、福島県双葉町で被災された方の講演会と親睦会があるそうです。
その女性の方は、以前よりコミュニティ関連の仕事をしていたそうで、
生まれ故郷に戻れなくなった今、新しく生きていこうとしている福井県のとある町で、
被災者が主体となって考える町づくりを進めるためのコミュニティを創ろうとされているそうです。

「コミュニティ」ってなんだろう?
いつも言葉として気軽に使っているのですが、今回をきっかけに
また新しい?コミュニティの必要性が見えてきているのかもしれません。
私も行けるようであれば、参加してみたいと思っているのですが、
ご興味のある方は、詳しくは直接、○○○さんまでお問い合わせください。
(伝言ゲームみたいに違っていたらいけないので、ごめんなさいー)

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2011/08/15 仲間へのメールより

ご無沙汰なくせに、さっそくなのですが、 
友人の建築家(○○氏と言います)が、 
建築家グループと東北被災地に何度か行っていて 仮設住宅をブレハブではなくて、木で作ろうとしています。 
1棟は、国からの若干の助成金と、木材会社から天井などにR型にも可能な集製材の提供を受け、贈ることができたそうです。 
相談は、「できるだけ多くの住宅を提供したいので、木材や大工人力などの提供者や安くお願いできるところを
探してもらえないか」というものです。 
木材は、足場板(荒いですが、厚みがあるのと安価)を想定しています。 
間伐材などでも木材であれば、多分ですが何とでもなると思います。 
イメージが沸き難いようでしたら、基本設計図を送りますとのこと。 
基本設計の構想はあるようですが、(もちろん)現場での状況や材料、大工さん知恵などで変更だらけでOKです。 
足場板のログハウス?みたいなイメージかと想像しています。 
愛媛から調達していくと輸送コストが高くなるんじゃないかということで、できるだけ近くから搬入できるのが理想です。 
また、現地は、まだまだ混乱しているとのことから(建築士も不足しているらしい)、遠隔地から出来ること、として考えているようです。 
相談を受けて、「青森の・・・略(笑)・・・・仲間がいる!」と 思わず言っていました。 

丁度、自給自足の一歩として、休耕田でお米つくりを仲間10数名としていて、 
今年は、そこで採れたお米の半分を東北に送ろうと話していました。 
また、別の仲間は、ドラムサークルという活動?をしていて、 
北海道のお坊さんとも縁でつながったそうで、 現地でドラムサークルをする予定です。 

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2011/08/20 仲間の仲間からのメールより


……さてmixi見ました。 
図面見たいですし 
バックアップ出来るならしてあげたいです。 

一度、向こうのコンセプトと、私が知り得る建築事情の情報交換したいと思います。 

私のフリーメール教えます。 
出先でも見れますので。 


図面などは、jpg形式ならいいかもです。 

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2011/08/23 仲間へのメールより

○○さん

はじめまして。青森の○○さんからご紹介していただきました
愛媛県の○○と申します。
(建築家仲間 ○○さんにもこのメールを送っています)

仮設住宅について詳しくは、
○○さんからメールを返していただいた方が間違いないかなと思います。

探していた材木ですが、愛媛からも1件見つかりました。(使えるかどうかは、来週○○さんと見に行く予定ですので未定)
愛媛県小田森林組合で、杉と桧の製材を乾燥した際に出る不良品(30×100×3000)を1本250円で分けてもらえるそうです。
乾燥もしてあり、若干の節が落ちたものや割れはあるそうですが、私が見せてもらった材は、充分に利用できそうです。

林業をしている方に紹介してもらったのですが、
「これからもたくさん出る材なので、将来的にも量が見込める森林保全にもつながるし、他林業組合にも話してみたらいいと思う」
「継続させるために、できるだけ多くの人に関わってもらいなさい」等、いろいろとアドバイスいただきました。
仮設住宅用として、セルフビルド用として、安価だが本物の木材キッドで外国(日本でも昔)のように、もっと木と人の距離が近くなるといいなと思いました。(建築士ではありますが、楽観的発想はお許しください)

安易な発想続きで申し訳ないのですが、
この規格サイズで模型を作って、現地でボランティアの人にでも組み立てできるようにする。
積み木のようにして、いろいろなプランを募る。
↑これは、たくさんの一般の人に関わってもらうため。
完成までの課題(木材を購入する資金の調達、木材を運ぶ、組み立てる、その後のフォロー、等)も、
できるだけたくさんの方々に関わってもらうようにする


どんなでしょうか?
○○さん ○○さん ご意見お聞かせください。

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2011/08/25 仲間へのメールより

○○さま
(○○さまにも送らせていただきます)

早速に、温かいお返事とたくさんの情報をありがとうございます。
まず、お礼申し上げます。
現地から離れたところに住んでいる私達(愛媛の仲間)にとって
なにか手伝いたいという気持ちばかりが先走り、模索ばかりの、もどかしいままの日々が過ぎております。
(○○さんは、直接行かれていますが)
当然、現地の方々にとっての日常は、どのようなものか想像を絶するものかと思います。

今私は、森林業界が抱えている問題とそのまま同じように
実家のみかん畑を荒らさないために農家1年生として、みかん作り歴60年の両親と一緒に山に行き、
とりあえずの年間の作業を覚えている最中です。
山や畑の再生と共に、両親にとって生きがい(仕事)となる場を消さないことで
介護に変わる農業がシステム化できないかと考えています。
(これも各地に広がるためのシステムです)
80歳の父も山に行く必要があるから、元気なのかと思います。
誰かにとって、何かにとって、必要とされるということは、生きがいにもつながっているのだなあと実感しています。
その生きがいを失われて、住み慣れた場所も失われた、被災地の方々に何かできないかと考えつづけています。

○○さん達仲間と借りている田んぼも、休耕田となっていたものを村コミュニティの再生の場として
活用するシステムに参加させてもらっているものです。

ハードルのお話、いっぱい出てくるんだろうなあと思います。
諦めなければいつかは形が見えてくる、そんな気持ちです。
それと政府の復興は、目に見えなくなると終わりかと思いますが、被災された方々にとっては、一生続くことだと思います。
歩みは遅くとも、できることを積み重ねていきたいです。

現地の建築状況も詳細にありがとうございます。
○○さんの帰ってからのお話も聞けていませんが、すぐに行けない人間にとってとても有り難い情報です。
そして、○○さんも言っておられるように、地域ごとにニーズも違うし風土も違う。
海辺の人の団結力の話、目に見える資源の少ない地域(本当はすごい宝)では同じような雰囲気があり、
四国では高知県に似ているのかなあと思って読んでいました。

仮説住宅ですが、現場事務所仕様で何とか冬までにという現状、よくわかります。
選んでなどいられない状況だと思います。
阪神大震災の仮設住宅での孤独死などの話を聞いていると、
一時的な住まいの確保ができたら、元に近い暮らし方のできる本当の?住まいが必要だと思います。
普通の生活をおくっている人でさえ、一生のうち、二度目の住まいを建てることは大変です。
そのお金も工面できません。○○さんの考える仮設住宅は、現状のプレハブではなく、
もしかしたら終の住処となり得る住宅なのではないかと勝手に想像しています。違いますか?
現地の様子を実際に見てみないと言えないことなのかもしれませんが、
元の住まいの面影(一部でも)を残したまま、増築なり、新設なりができないかと思います。
○○さんとも以前に、人の心の中の原風景の話をしましたよね。

現地では現地の材を使って、現地の自然環境や人間環境に詳しい人が監理をすることがベストだと私も思います。
愛媛の材を教えてもらった小田森林組合の人も、その話はしてくださっていました。
現地で手に入れば一番いいけれど、北海道の唐松なども北陸には合うんじゃないかなとか。
わざわざ愛媛から高い輸送費をかけて東北まで運ぶのであれば、
同程度の費用で、現地で手に入る方法から探すべきだとも思います。
その情報も欲しくて○○さんにメールさせてもらいました。

今回の材は、ひとつの出発点だと考えています。
「何も無いけど、何かしたい。」という話では、誰でも相談されようがなく(何がしたいの?)、
実現というところまでいかなかった、という個人的理由で申し訳ないです。
こうして東北支援ということだけで、繋げてもらっている縁ということ
その縁を繋げて形に変えていきたいと思います。

> 基本は地産地消で考える流通をちゃんと構築した上で 足りないものを
他の地から補えるネットワーク(適正な価格で)を考えようというのが私の考えです。

同感です。今回の材については、東北のことだけでなく、四国の林業や流通について考える良い機会だと思っています。
○○さんのサイトも見てみます。

> 今これから必要なのは 仮設住宅の すぐ近くに建てる集会所とか仮設商店・仮設コミュニティカフェとか 
> 仮設住宅にはない憩いの空間が 冬までに急務かなと個人的には思っています。

こちらもとても有り難い情報です。
愛媛では温暖なこともありますが、イベントはテントでも畑の中でもできるよねという話を仲間としていたことがあります。
創ろうとしていた仮設住宅を必要な建物に変更は可能だと思います。
東北に限らずですが、人と人が寄り添える場所必要ですよね。
まずは、集まれる場所を創るということ(集まる目的も)考えていかないといけないですね。
今日、草刈機が調子悪いので、修理をされているおじいちゃん(田舎の道端にプレハブ)のところに寄ったら
おじいちゃんが何人か道端に座り込んでコミュニティの場となっていました!
集まりやすい場所、考えたいですね。


> システムは本当に用意周到考えないといけない。
> ほぼその労力に尽きるのだと思う。

○○さんも同じようなこと言われていたのを思い出しました(*^_^*)
みんなで知恵出し合いましょう。
きっと出来ないことはないと信じています。

> ただ カフェ…サロン…個人て来ても快適に息抜き出来る場…これらは 赤松様が提案されたもので出来そう?
> あと巡回型の販売とか 店舗持てないでも定期的にそこで店を広げられるとか
  映画するとか小さいコンサートとか芝居するとかの仮設空間。
> 大型テントより丈夫な作りとしてある 昔の小さい丸太で組んだ小屋組(サーカスや芝居はそうやって巡業しました)を
> 現代風にジョイントシステムを考えて出来ないものかと思ったり。
> これは余談でした。^^;

ああ いいなあと読んでいて思いました。実は、愛媛でもあまりありません。
個人的に休眠していた公共の交流センターをみんなの集まる場所にしようとしたり(実際に3年間委託契約で運営しました)
空家(空きビル、空山?)を再生して新たな命を吹き込めるといいなと建築の仕事をしていました。
生涯楽しく学べる地域の小さな学校(市民大学みたいなもの)を空家や廃校活用でしようと仲間と企画もしたり。
東北で、私に出来ることに繋がりそうです。ありがとうございます!

> 岩手ならば 微力でしょうが ナビゲート サポートは 出来るかと思います。
> 全体にそぐうものを考えるのは難しいかと思いますので 岩手のみならず そぐう地域を探してそこにスポットで展開する手もあります。
> また 各行政単位に告知して 名乗りを待つという手もありだと思います。

この話も仲間から出ていました。不思議ですね。
里親というか何というか、個人個人が小さな単位で繋がるシステムにしないと本当のニーズは見えてこない、というような話。
まずは、今仲間で作っているお米の贈り先を何処にしようかとこれから相談していきます。
ひとつの案として、どちらか○○さんにナビゲートしていただける地域がありますでしょうか?
仮設住宅なり、コミュニティの場が無い、地域だと材木のシステムも具体化しやすいかと思います。
場所について、○○さんも情報をお持ちでしたら言ってください。

あちらこちらと飛んでしまった話ばかりですが、懲りずにメールいただけますと幸いです。

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2011/08/31 仲間へのメールより

○○さま

○○です。(あ すみません。みんなから愛称でそう呼ばれています)
ありがとうございます♪

先日は、親類含めた3人の年寄りを30分ちょいの隣町まで病院に連れていっていました。
ここぞとばかりに病院のハシゴをしますから、長い待ち時間を含めて
年寄りにとっても、介護する人間にとっても、1日がかりの仕事です。
まだ、身内に搬送してもらえるのは、恵まれているだろうなあと。
私の地域では、険しい山道から、毎年お年寄りがトラックの操作ミスで転落して亡くなられたりもします。
家族を養っていかないといけない年代の自殺もあります。
みんな不思議と、あまり騒ぎません。騒いでどうなるものでもないですが、
そんなことが日常の生活の一部だと思うと、なんだかとても不思議な気持ちになります。
そんなことに敏感でいると日常生活が送れませんが、鈍感にもなりたくないです。

> ゆるくて ほのぼのとしていいですね。そして四国やら瀬戸内海地方のゆる〜という感じます。
> 実は 私 大学が大阪でして 香川を除いて知人がおりましたよ。
> だから 何となく判るな〜って感じと いいな〜って感じしました。

四国にいらしてるんですね。
はい とってもゆるくて ほのぼのしています(*^_^*)
何となく共感してもらえて嬉しいです。
地域や国ごとにいろいろな違いはあっても、何か共通するものは必ずあるんじゃないかと思っています。
そんなことを一生かけて?探しているようなところがあります。

> その通り。今 前ははばかられた見学ツアーや 現地の人達がすごいトラウマを抱えつつも話し出し、記録しだしています。
> これも 伝承(見る・伝える・繋ぐ)という すごく古典的な原始的な私たちのコミュニケーションの手段が展開されだした様相です。
 私たちはこうした中で進化して来たのですから。

そうですね。
同じように、止まっていた私たちも動き始めた感じです。
この原始的なコミュニケーションが今、必要とされているのかもしれませんね。

> 『土』の中では それはそれは必死にいろんな世界様相が展開され 作物を生ませているのです。
> 農家の方々を見ると いつもそんな『土の中』をオーバーラップしてしまいます。

奇跡のりんごの木村さんの本を最近、読んでいます。
愛媛にも自然農の創始者的な方で、福岡さんがいらっしゃいましたが、福岡さんの本にも同じようなことが書かれてあります。
人間も土の中と一緒で、見えていない部分のほうが見えている部分の何倍もあると。
できれば、東北に行った時に、木村さんのりんご園にも伺いたいと思います。
そこには何か、(東北だけではなく)復興のヒントがあるような気がしています。

> どこか世の中 熱病が冷めて来た感じがあります。

情熱という言葉が好きです。
理屈とか好きという言葉では処理できない。寝ても覚めても頭にあること。
人を動かしている動力源なのかなと。
自分を動かしているのは、何なのかと考えると
例えば、目の前に倒れた人がいたら、多分すぐに助けるだろうなと。
でも、見えないところで倒れている人がいると伝え聞いたら、どうするだろうと。
○○さんも言われているように、人は自分に遠いほど関心が薄くなる。
それはそれで仕方がないのかもしれない。
でもやっぱり自分がどっぷりと関わっている社会の一部なんですよね。
その時に「何か嫌だ」と思う自分は、確かに居るんです。
でもって「何かしたい」と思う自分も。

> 泥プールで泥んこになってもらうのです。
> 五感の育成の為に…ついつい大人は 汚されたりしたらかなわないとか 自分の事を中心に子供のしたい事抑えるでしょ?
 それが嫌で…。一生ゲージに入っているブロイラーの鶏思い出します。

泥んこプールいいですね(*^_^*)
以前、仲間のドラムサークルを耳の不自由な子供さんの学校で開催の手伝いをしたのですが、
音が聞こえないはずの子供たちの方が、耳以外のすべての感覚を使って伝達やコミュニケーションをとっていました。
非言語コミュニケーションを体験しました。すばらしい体験でした。
日本の?高層団地を見ると、いつもブロイラーゲージを思い出していました。
一晩中明るすぎる明かりのコンビニも。
ただ、あのコンビニが次に展開すること(何かは知りませんが)には、少し興味があります。
コンビニ同士のネットワークと人が集まるという意味では、すさまじいものがありますよね。

> 同感です。それには みな繋がっているのだという連帯感を切らさない事が肝要です。

同感に同感です(笑)
地球上(宇宙もでしょうが)みな繋がっていますよね。
モノにも意思?があると何かで読みました。
シュタイナー?
シュタイナー建築の話に詳しい仲間が講義?してくれていたのですが、
造形物もそう考えると生きているのかもしれませんね。

> フレキシブルにバージョンあげれる家であったり
> でなければ 仮設住宅群をひとつひとつのミニキッチン部屋だと考えたら
> 皆の集まる食堂だったり 居間だったり 客間をそこに作ってあげたり 庭があったり…。
> それが大きく展開して その仮設住宅群がひとつの町内となるような積極的は仕掛けしてあげる。

はい。上記につながりますが、そう思います。

> 今ある場所は 津波にやられた場所であり そこを移転して新しい街を作るかどうか
 そんな事まで視野に入れ考えねばならず 本当に大変なのです。
> 一概に そこにまた住むというわけにも行かないし そこに住みたいと思う人
 また同じ近所付き合いしたいと思う人らもいるわけで 悩んでしまうところ。

そうですね。できる支援は何でしょう?
遠くに移住したり、新しい人間関係(街)に住める人、
こちらは既に、政府の支援や計画がある?

住める住めないには関係なく、元の場所に住みたい人、
こちらは、場所によるのかなあと。
大きな町であったところであれば、遅くとも同じ場所に新しい街づくりの支援が入る?
では、小さな集落は?
そこに支援の手が届くのは、最後に後回しのような気がしています。
そこには、父のように黙々と生きていく姿がだぶって見える気がします。

> 家は 津波により崩壊しましたが 基礎は残っており それまで壊し更地にすると 
> 基礎を撤去するともはや自分の土地がわからなくなります。だから 壊すに壊せない。
 でもそこに住めるかは解らない。壊せないから
> さらなる復興の整備が出来ない…もう二重三重苦のジレンマが 津波で被災したところはあります。

どうしたらいいのだろう。
ここにはアイデアが浮かびません。もっと考えてみます。

> 国策として産めよ増やせよと闇雲に植えて育て 今は使い道に困っている杉
 (しかもそのおかげで林業が廃れてしまっている地域の木)を伐採し
> あらたな国策として地山 植林を長期展望すればとか考えたりします。

賛成です。
昨日、以前に話をしていた杉の規格外品を見せてもらいに久万森林組合の集成材加工場に○○さんと行ってきました。
その加工場では、捨てるものはなく、屑はボイラー熱源に利用しているということでした。
(写真添付)
ただ、その周辺の山々の手入れが全てできているかというと、やはり追いついていないそうです。
そして、「長期的な循環のためにもバイオマスエネルギーの利用が必要ではないか」とは、職員のひとりの話です。
福島原発の有識者の話し合いでも「電力が足りなくなるから」ということで二分した記事を見ました。
不思議過ぎます。
話がずれてしまいましたが、今回の震災を良い転換のきっかけにする義務が私達にはあると思います。
学んで情報交換をし合って、みんなでより良いシステムを考えていかないといけないんじゃないかと。
焦らず一生をかけて一歩ずつ。

> 日本人は 欧米のように一部屋一用途ではなくて 小さい部屋を幾通りにも
 フレキシブルに使えるノウハウとイマジネーションを持っています。
> すだれひとつでも 曖昧さを持ちつつかっちりとした領域感も 気持ちひとつで持てるところとか…。
> 寝る場…巣は 命が無防備になる箇所ですから きっちりしたものとせねばなりませんが コミュ二ケーションの行き交う場は
> ある程度の閉塞性があればいいと思っています。

昨日、○○さんの仲間が創られた「子供たちの遊び場」?を見せてもらいました。
杉材を曲げただけの屋根の隙間から空が見えますし、地球(地面)より高いところでいろいろなイマジネーションが沸きそうです。
○○さんとカフェを開いてもいいねと話していました。
(写真添付)

> 起きた事は不幸ですが きっちり検証しないと 建築学的にも防災工学などなど 今後の為には粛々とデータを取り 明日へ繋げる事が
> 私らに課せられたものだと思っています。
> 民俗学にしろ 社会学にしろ 面白い研究データとしてではなく 明日への戒め反省のデータとして伝承する為に 
 フィールドワークをしだしています。
> 建築の分野では 地震だ津波だという工学的な話は 建築雑誌でも出てきていますが 
 むしろ私は地元紙を購入したり 地元の方の話を聞いたりしてどう今変わって行っているかという目を持って見ています。

そうですね。自分や周りの直接被災者ではない人間の考え方や関わり方の時間による心理の推移も面白いなあと。
マインドマップといって、画用紙などに無造作に思いつく言葉を
どんどん書き込んでいくファシリテーションのひとつの手法があるのですが、
震災後から少しずつ書き足していっています。
面白いのは、最初に書かれてあった言葉は、「自分」のことではなく「他者」のことについてなのが、
考えて動いていく過程の中で、今は「自分探し」が中心になっています。
また、これから直接、現地の方々と関わりを持つ中でも変わっていくのだと思います。

> 私的には ○○さまらの活動を 被災地に投じたとき どういう風になって行くか?そういう興味もああると言っても過言ではありません。

○○さんから私達の活動がどう見えているのでしょうか?
今、そういった(どういった?)活動は、現地では無いのでしょうか。また、必要とされているのでしょうか。
まあ やってみないとわからないこともありますよね。
何が何にどのように作用?するのか、それが人と人の関わりの面白いところかもしれません。

> 被災して仮設住宅に入るまでの間には避難所暮らしがあったわけですが 
 この間にも今まで震災があったことが生かされているノウハウがいっぱい投入されていましたが
> ノウハウとして確立したものもあまり公になっているのものでもなかったので 各地域で格差がありました。
> 仮設住宅の格差は その良い例です。
> チョイス出来るよう ひとつのデータとして何かがあったら そこの適材なものを 地元の人らが選ぶことが出来たでしょう。
> いろんな例が展開されたのですから これらをちゃんとまとめるべきだなと私は考えています。

同感です。

> ですから ○○様の活動もその経緯もその検証もしないといけません。
> 日本人は検証とかフォローするのが不得手で デメリットを多く語ろうとしませんので あえて苦言を…。

了解しました。
○○さんとのメールのやりとりも、私の中では、ひとつの経緯の記録です。
ありがとうございます。
できれば、他にも、こういう情報交換(自分の中の整理も)を共有したい仲間がいます。
みんな目標は同じ東北支援というところだけ一致しています。
目的は、それぞれ地球環境の循環であったり、心理学的な興味であったり、コミュニティや街づくり、
といろいろ?手法も、建築、ドラムサークル、人的ネットワーク、といろいろ?
一緒ぐちゃ(混ぜ合わせること)にしない方がという声もありますが、
どこがどこに繋がるかわからない、小さな糸口や縁を大切にしたい、と思います。
まずは、メーリングリストを作ろうと思っています。○○さんもご参加いただけませんか?

> >集まりやすい場所、考えたいですね。
> 私は 設計の『設』…しつらえるという言葉が好きです。
> 形が云々でないのだと思っています。最終的に形になっているだけだと…。

はい、わかります。
同じように、私は「場」という言葉が好きです。
それも、自然発生的な場。
最終的に形に・・・と同じようなことですね、きっと。

> 逆に 練りこんでみたものが どこに合うかと 探す為にアンテナ張る方がいいかと思いますがいかがでしょう。

はい。その方が無理がなさそうです。
昨日、○○さんの動きをお聞きしました。
昨日現在では、建築士会の大阪ボランティアで、2棟を岩手県釜石市に予定、JIA?愛媛支部で、2棟を仙台市近くの名取に予定。
どちらも人のつながりで入られるようです。
図面は、まだ書き直し中とのこと。別に公開に問題は無いけれど、独自で動いたのでいいのでは?とのこと。
どちらの予定地も規模が大きいので、中心となる建築家の方のバックアップを考えている様子。
建築家の方のお名前・・・お聞きしたけど忘れました。ごめんなさい。
岩手の海岸沿いの小さな集落が支援が行き届いていないのでは?とのこと。
○○さんが言われていた地域は、地図で見るとその辺りですよね。

 ネットワークを駆使して 全世界からそういうスキルのある連中が ど〜〜っと集まってやってしまいます
> まるで台風みたいに…。
> 古き良き時代というか 今でもムラ社会では 近在の連中が集まって建前したり
 屋根葺いたりとありますが まさにそんなノリです。

いいですね。それが現地の人の元気にもなればいい。
自分の理想に近い動き方です。今回もそんなこと、できないかなと思っています。
遊びですが、以前、仲間と青森の海辺の芸術祭に参加するのに
ミュージシャンやアーティストみんなでバスを借りて、運転して行こうかと話していたことがあります。
道中もいろいろな場所で大道芸人みたいなことやりつつ、途中で仲間拾って、南から北上する。

> どこかまず拠点を作らねばと思わせてくれた話です。
> 三陸では 海の人たちが 山に植林したりする活動があったと思います。
> 海の幸は山からの恩恵があるから 山の事も考えようという趣旨だったような。
> 漁協と森林組合のつながりあるところなんかの地域がいいなと思った次第です。
> 皆様に ノウハウあるなら そういうところへタイアップを考えたらいかがでしょう?

○○さんが関わられている建築家仲間は、ノウハウ持ってられると思います。
私は、建築的ノウハウは少ないかもしれません。
ネットワークでつなぐ部分が得意だと思いますので、そちらで協力したいと思います。

自分ひとりの想像的計画ですが、

森林組合の人と話していて、
運送賃が約30万円〜35万円?(愛媛〜東京の便は、定期的にあるらしく、それが約17万円)
帰りの便が空便になるのがもったいないので、どこかと交渉できるといい、
パレット数が多い方が、割安になるので、考慮して交渉。
また、被災地支援の運賃補助があるのでは?
建った仮設住宅やコミュニティの場を現地の人に喜んでもらうという実例が出来てから
次が建てられるのではないかという話が出ました。

私は、もうひとりの仲間と現地入りを11月上旬を仮計画しました。
仮でも計画しないと実行できにくい。現地で必要とされること次第で、予定を変更したいとは思います。

> 四国はヒノキがあるなら 土台回りはそれをそちらから提供して 後は地元で調達。
> 本来なら 向こうの家造りの嗜好というのがあるでしょうが ほぼ金が無いので
> 下手すると終の住家になってもいいぐらいだけど
> とてもいい感じの安価な家を提供できるからどうか?という企画。

はい。これは、東北だけではなく、何処でもできるといいなと思いますし、可能なことだと思います。
ひとつのしくみ 創りたいですね。
昨日の森林組合で、「桧の規格外品はでないのですか?」とお聞きすると
「桧の規格外品は、少ないですね。そして、需要があるので、それも直ぐに無くなります。」
四国は、杉と並んで桧も多いと思うのですが、想像するに、
「桧は、お金になるから手入れもして製品になるまで育てるけど、杉は、手入れも出来ずに放置林が多い。」
からかなと。次に聞いてみようと思います。
先ほどの集成材工場でも、捨てるものはなく循環しているけれど、
規格外品は、需要が一定していないらしく、在庫が多量に残ることがあるのが課題だそうです。
定期的に利用できることを考えれば、もっと山の循環は進む?のかな。

今回の規格外品は、1本250円(サイズ3000×30×120または、90)
(写真添付)
製品の値段を聞いてみたら、倍くらいの値段とのこと、それでも木は安いですよね。
サネ加工が1本あたり、250円くらい。
突き付けで設計するか、サネ加工した材で設計するか、
建てる目的によっても変わってきそうです。
1本250円で手に入るのは、オートメーション工場であまり人件費をかけずに製材できているからみたいです。
小さな製材所との棲み分けができているといいのですが。多分、小さな製材所は止めていっていると思います。
大量生産に反対しつつ、山の循環にはプラス?複雑な気持ちです。

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2011/09/01 仲間へのメールより

○○さん こんにちは。
(○○さんにも送らせてもっています)

30×3000×120の材料を使用してと仮定して、
まずは、図面と模型を作ってみようと思います。

できるだけ加工しない
現地で組みやすい
応用がきく、

意識するのは、この辺りでしょうか。
何か足りなければご指摘ください。

とりあえずの基本プランとして図面添付してみます。
考え方としては、こんな感じで良いのでしょうか。ご意見ください。

> 板材なら 坂茂さんがやったように 本棚のような箱を作り それを構造体にして屋根掛ける手もあります。

この考え方は、とてもいいなあと思いました。 
それと、添付写真の「子供の遊び場?愛媛の建築家○○さん」のように まずは、床だけ作ってみる。舞台みたいなの。
250円募金で集まった材で、まず出来ること。そこで、次への計画を話し合う。
1回で関わりが終わるのではなく、続いていく何か。

壁の厚みは、
30で断熱材と構造材代わりに棚を設置していますが、
材はたくさん必要ですが、120または、90を壁厚とした方が良いのか、
その辺、はしょってます。

いつもたくさんの情報をありがとうございます。
日本地図を広げてみながら、少しずつ咀嚼していて、遅いリアクションでごめんなさい。
愛媛県のHPや社協の動きさえ把握できていません。
もっと情報収集しないといけないですが、追いついていない現状です。


> 板材なら 坂茂さんがやったように 本棚のような箱を作り それを構造体にして屋根掛ける手もあります。

いかに応用がきくようにシンプルにできるか、
そこに価格(安いけれど良質)が付いてくるような気がします。
本棚であれぱ、廃校を利用して間伐材でプランターのキットを作っている
久万森林組合を紹介してもらったおじちゃん達にキッド製作のお願いすることもできるし、何処でも広がりそう。
現地組み立ても在来よりは簡易にできそう。

 今残っているその家をどう修復するか
> だめでも家の名残である材料を生かしてどう住まいとして展開していくかとやってい活動があったような気がします。

> 林業の島でもある四国だって いい家ありますでしょう?
> 危険度判定で もうそこ住んじゃいけません!と行政指導されたって
> おじいちゃんおばあちゃん納得はしないでしょ?
> でも 本音は 生まれ育ったそこにもどりたいのです。

そう思います。


> だから あきらめきれず 被災後何度も自分の歴史…家のなごり…を探すべく多くの人らは瓦礫の中を徘徊しました。
> ほとんど使えないものなのに 見つけると愛おしがるのですね。そして諦める事をそこで確認するのです。
> 私たちだって たぶん同じ行動するんだと思います。

> ではでは これからは秋台風の季節。そして南海の地震の可能性が無いとは限らないわけで
> 愛媛は 岩手県で言うところの遠野や盛岡のようなというか 原発で言うところのオフサイトセンター機能として
  四国全体の後方支援をもになえそうなポジション。
> まあ 行政としては四国各県との連携体制を考えておるかとは思いますが ともあれそれでも各自の備えも大事。
> まずは そういうところの体制を磐石にしてくださいませ。想定外はありましょうが…。

この話も森林組合の人としていました。
「愛媛もいつ南海地震が来るかわからないのに、仮設住宅のキッドや構想は作っておくべきではないか?
地元に折角良い材料がたくさんあるのに。」
今回は、良い機会です。できたプランを愛媛県にも提案したいと思います。
そこから他の県とも共有できていくといいですよね。
エネルギーのことについても、伊方原発がすぐ近くにあります。
こちらも原発について考える良い機会だと思います。

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2011/09/09 仲間へのメールより

○○さま

台風は直接の被害はありませんでしたが、
四国内でも浸水孤立した地域があったそう、新聞では和歌山県でも相当な被害だったようですね。
りんごは、風で実が落ちやすいと聞きました。被害が少ないと良いのですが。

私の言葉不足がありました。すみません。
図面うんぬんの話をしていて、自分自身でずれてきてしまったなと。

協力したいので分けて書きたくはないのですが、○○さんの最初の活動は、仮設住宅を贈ろう、なのかなと思います。
私自身は、自分に出来ることは何か?と考えている最中です。
現地で求められているものが、仮設住宅なのか、他のことなのか、情報集めから始めないといけない状態です。
○○さんのお話や新聞を過去にさかのぼって調べています。

○○さんよりお聞きしました。
大阪建築士会グループは、木材も2×4での提供元が大阪で見つかり、予定通り10月上旬に施工を始めるそうです。
こちらは、協力してもらえる人手も足りている様子とのこと。
JIA愛媛グループは、現在検討中の木材を使った何か(仮設住宅かもしれないし、それ以外かも)を検討中とのことです。
こちらは、JIA愛媛だけの活動にしないで、情報収集や協力してもらえる仲間も続けて探していく予定とのことです。
こちらの活動に協力する(というと人事に聞こえてしまうのですが)ことになりそうです。

ひとりでしようと思わないこと、自分に何ができるかをまず先に考えること、等、○○さんからアドバイスもらいました。
○○さんには、私の変な伝え方で、ナビゲーターも手伝いもしずらい進行で、申し訳ありません。
少し落ち着いて考えてみます。

現状のご報告です。

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2011/09/20 仲間へのメールより

○○さま
○○さま

返信遅くなりました。
耕作放棄地の棚田を借りて仲間と協働で作ったお米の収穫が終わりました。
出来たお米の半分を東北に送ります。
話し合いで、下記のようなところに贈ろうとなりました。(文:○○さんまとめ)
どこに送るかを仲間がそれぞれのつながり先に問い合わせ中です。

・少量でもありがたく感じてもらえるところ(小規模な施設や団体?)
・ほとんど無農薬米なので、これを貴重に思ってもらえるところ(ある意味での弱者かな?)
・相手の顔が見えて、(遠距離恋愛的)交流が続くようなところ
・直接渡すところ(可能なら誰かが行って届ける?)
基本的には、個人向きではなく、共同で使って皆の連帯感が高まるようなきっかけに
なってくれればよいのではないでしょうか?

「相手の顔が見えて」の前にまず、自分たちの顔を、ということで
活動の内容や写真を記してお米と一緒に届けようとなりました。
(稲刈りの写真)
http://www.withcafe.info/oyajisama/satokome/20110911.htm
「萱の外くらぶ」のはじまりや活動の目的なども。(サイトに載せないといけないのですが、まだ・・・)

添付していただいたお米の記事を読んで、
山間部の棚田の被害よりも沿岸部の平野での被害が大きかったのだと再確認しました。
塩害除去について、東京(愛媛県の記事として掲載・添付)に本社のある住友化学が開発中とのこと。
気になるのは、今回直接津波の被害ではないけれど、生きがいと直結しているような、
お年寄りがコツコツと耕してきた小さな田んぼです。
仙台市の少し北の山際でも、棚田再生を地元の方々主体で賛同した日本中から集まった仲間で、
今年も無事に刈り入れが出来た記事がありました。
切り抜き添付しようとしたのですが、見つからず。
○○さん、ご存知ですか?何かご存知でしたら教えてください。

パオ、おもしろいですね。今回の木材も、こんな感じに組み立てて、いろいろな使い方できないかなと思っていましたが、
やはり、そこはテントの方が、そりゃ設営も移動も簡単ですよね。
現地で望まれるもの・こと、の聞き取りが大事ですね。
夕食支援の記事も添付します。食べること、被災していなくてもお年寄りは大変です。
これは、東北だけでなく必要な支援ですね。

仮設住宅を出た後の不安については、こちらの新聞でもやはり取り上げられています。
そりゃそうですよね。住居だけではなく仕事もなくなった人が多いのですものね。

大槌町の仮設住宅のみなさん、いかがでしたか?お元気でしょうか。
またお時間できたら、教えてください。

○○さんからの情報、
釜石市近くの漁村10戸で、あわび漁の作業場を木材で建てようかという話が出ていると言われていました。

別件、添付の新聞の切り抜きの畳職人のおとうさんは、田老町です。
11月に出来たら、お逢いしに行ってみたいと思います。
行った時に、日が合えば記事に書かれてある「話し合いの場」に参加させていただきたい。
まだ、そこまで進んでいなければ、可能なら、愛媛でどういう支援ができるのか仲間数人で検討中なので、お話をお聞きしたい。
その場が、町の話し合いの場のひとつにもなれば。
こちらの話は、何か情報入りますでしょうか?

もうひとつ添付します。
三陸に11月にとりあえず行ってみようと思い立った記事のひとつです。

今、話の出ている場所を地図で見てみると、何だかどんどん近くなっています。

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2011/10/12 仲間へのメールより

○○さま
(○○さま)

やっとパソコン作業復帰できました(*^_^*)
古いメールからお返事させてください。

> 漁協とか どこか集団に属している人らは
> 仕事しだしていますが、群れる事が苦手な漁師さんは、自分が生きていれる年齢と借金の返済を天秤に掛けると、
 船を購入できないなと、再出発に踏みこめないでいる人もいます。
> そしてその地を離れていくという図式も成り立っています。

やはり生きがいとなる仕事の再生が並行されないと、自立した個で成り立つ街は出来ないのだろうなと感じます。
「個人的にできること」が、その辺にもある気がしています。
今、自分が父親にしていること、を置き換えています。

> いろんなことが刻々と変化しています。
> 先の話に繋がることですが 平和時によくある『まちづくりワークショップ』が今こそ企画されるべきなのだと思いますが、
 そんな話はまだ聞こえてきていません。
> まったく 今目の前にある事 そして冬 それで手一杯なような気がしています。

今回の東北行きは、「次につながる何か」を自分の中に掴んで帰りたいと考えています。
自分の頭の中に計画はありますが、それはあくまでも自分の計画であり、それを目に見える形で相手に伝えて
行動につなげて行かないといけないと思っています。青写真が必要ですね。

> 何を支援しなくても、また地元の人間ではないので、しがらみもない私達ですので、
 また自治体組織も小さくあるので組みやすく、向こうの職員の方と懇談できればいいなと思いました。
> 私達 勝手連で支援したい!というアプローチもありかと…。
> ちなみに私の『花』の支援は、そこに花屋さんが無い事…あればその花屋さんの仕事を奪うことになりますから
> それは同業界の仁義に反しますから、そういう事をちゃんとリサーチした上でやりました。
> 自分達のやる事が そこに迷惑かけず ちょっと繋いでもらう程度をしてもらえば こちらがすべてする…
 そんな感じじゃないといけないな〜と思った次第です。

今回東北に行く前に大阪に寄って話をしてから行こうと考えたことは、
大阪の仲間が中継と現場に入ってくれていて、イベント的でも構わないので「こだわりのモノ」だけを扱う小さな市(カフェ)
開けないかと打診しています。活性化の目的で空き商店街、電車の下構商店、個人のお店(洋服やさんやパンやさん)等で、扱ってもらっていたのですが、他にも同じようなこだわりの農作物を販売できないかと。例えば、○○さんのお父さんのりんご、岩手の海産物、
また、その場所が、大阪に移住している東北の人の懐かしい食べ物に再会できて情報交換も出来るカフェになればいい。
その話を具体化しようかと考えています。
移住をした人の記事が載っていて、都会に住む娘のマンションに引越ししたけれど、昼間誰もいない、知らない場所で暮らしていけなくなって、仮設住宅に転居の申し込みをしたのだそう。仮設住宅に戻っても元のコミュニティが復活する訳でもないけれど、都会にひとりよりもマシだと。どちらを選択しても交流が出来れば、何かまた良い変化があるのでは?と思いました。

> 私は、一応仮設住宅で世話人になっている人を繋いではもらいましたが、現地行き、花を配っている内に、
 来たおばちゃんを巻き込んでいっしょに束ねたりしてわいわいやりました。
> その間、地元にボランティアに来ていた方(仮設を回りお話したり情報を配ったりしている人)が、
 他の仮設も声かけしてあげるよと言ったので、頼むよ〜〜ってな感じで、3箇所回りました。そうやって輪を構築してやったわけです。
> みんないいおばちゃんばかりでした。その間に いろんな世間話
> 実は 私にしたら『花』は手段であり、目的はそこにありました
> これは、田老の避難所で自分も泊まり おじさんらやおばさんらと話込む事の大事さを知ったからかも知れません。
> だから 皆に言います。
> 支援は長くしなきゃいけないんだ。今出来なくても 出来る事はあるから…と話すのです。
> 陸上競技のバトンリレーのように 続く 繋げる事が大事なのです。

東北に行く前に、できるだけ自分達の考えや出来ることを共有したいと思います。
○○さん共、今は直接つながらないかもしれませんが、いつか何かつながるんじゃないかと思います。
別の仲間も活動は別々ですが、自分自身で出来ることをコツコツと続けています。
そんな個々がいつか繋がる日が来るのが、とても楽しみな私です。

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2011/10/12 仲間へのメールより

○○さん
○○さん

そうですね。建築的アプローチに拘りはありません。
「自分に出来ること」を、過去からの経歴を含めて(笑)今、総ざらいして虫干ししています。
また、私の経歴にはないけれど、○○さん、○○さん、○○さん、、、
他の仲間 みんなの経歴集めると凄いことが出来そうです。
頑張りましょう♪←この言葉は、東北に向けではなく、自分に向けた言葉でもあったんですね。

> 大槌に彼岸前に行ってきた際に あらためて知った「遠野まごころネット」の活動。
> ベンチ作ってあげたり、廃材使い農作業小屋作成するまごころ百姓隊の募集。

> そこで思ったのは なんで建築的アプローチにこだわらんとならんのや…と思った事。
> 内装仕上げとして板材があってもいいし(結露すごいんで)、家具であってもいいし、ウッドデッキやスロープ。
> それでも建築的なもんにこだわりたいなら、家の玄関前の風除室というユニットに限定した構造物。
> これなら規模小さく 部材も大したいらない。

> 一冬越して 一通りの不足過分が判りますから この夏の事は来年。この冬の事も来年。そしてさらに…。
> そんなスパンでいかないとだめなんだろうなと思いました。

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